劉邦の生き様よりも項羽の死に様が良い
項羽と劉邦〈下〉 司馬遼太郎
項羽と劉邦の戦いではありますが、今の政治で言うところの第三極の勢力が出てきそうになるのですが、それが韓信の勢力です。劉邦に属しているのですが、彼の戦の才能で次々と項羽の軍を突破していきます。
次第に劉邦自身も韓信の軍勢に気を取られる(裏切られたらどないしょ・・・ということ)に至りますそれだけの軍勢があれば劉邦だけでなく、項羽の軍にとっても十分脅威になり得るわけです。
そんなこととは裏腹に韓信という人物はあくまで劉邦を主人として全うするわけですが、主人である劉邦のほうが疑う始末。なんとも歯がゆい主従関係ですが、何故に韓信は項羽軍に寝返ることなく、また第三極にならなかったのか?
こんな行があります。
武渉なる人物が項羽軍に寝返ることを交渉に来た際、項羽軍になることを断るのか?と尋ねると
『私は、項王がきらいなのだ』中略『過去に項羽の軍にいた時)
私を用いなかったからです』
と言い。何故敗者に近い劉邦はどうか?と尋ねると
『好きです』「理由は?」『私を用いてくれたからです』
とあり自分が活躍する場を与えてくれた劉邦にどこまでもついて行く考えを述べています。
でも主人である劉邦がいつ裏切られるかも分からないとビクビクしてるのは、今の世も変わらぬことでしょうか?
それならば華々しく散っていった項羽がかっこいいか!
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